フランスに関するエッセイで、こんな内容を読んだ

自分(日本人である著者)は、外国人という例外的存在だから、どのクラスのフランス人と交流することができるが、自宅に友人を呼ぶ場合は組み合わせが難しい。
クラスの違う人たちを呼ぶと、話題は盛り上がらないし、間に挟まって自分も疲れる

乱暴にまとめるとこういう内容。

これを読んで、

ふーん、やっぱりフランスって、階級社会なのねえ。

と思った。

しかし、である。先日、日本国内で似たような場面を経験した。

ある会合の後、私達は、少人数で飲んでいた。
そのうちの1人が、自分の知り合いを呼んだ。
他のメンバーと何の接点もなく、業界も違う人だ。
呼んだ本人は、紹介したり、話題をふったり、座を盛り上げようとするのだけど、私達の関心のある話題ではなく、「ふーん、そうなんですか」以上のコメントのしようがない。誰1人、積極的に自己紹介するわけでもなく。

フランスみたいに、上下関係とかあるわけではないから、縦割り社会とでも言うべきなんだけど、住む世界が違う人間は基本的に混じらないんだなあ、ということを体感した。

基本的、と言ったのは、例外もあると思うから。
縦割り社会を貫く共通の横軸があれば、話は違うはずだ。
その横軸の1つは、宝塚ファンであること、だろう。
以前,割高と書いたイタリアンのお店。
近くのテーブルのおばさまが話していた生々しい話が,役にたったかも。

百人一首

2004年5月19日 エッセイ
百人一首には,恋の歌と,景色(花,紅葉,雪等)を詠んだ歌が多い。
子供のころ,全部暗記したが,恋愛の歌は,一部,サパーリ理解できなかった。美しいコトバで景色を詠み込んだ歌は好きだった。

恋しい人と離ればなれになるという前提で,「また,必ず会いましょう」とか,「待っています」という内容は,まあ理解できた。

どのような歌が理解できなかったかというと,例えば,

「恋しい人に会えなくて恨めしい」という歌
「恋しくて身が焦がれそう」という歌

好きな人が恨めしいって一体??だいたい,会いに来てくれないような冷たい人のことなんて,忘れちゃえばいいじゃん。苦しいなら,恋をやめれば?

などと思っていた。

ところが,自分が,身を焦がすような激しい恋をしてみて,あの百人一首の恋の歌をしみじみと理解・共感することができるようになった。


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