Memoire〜回想録

2005年1月16日 宝塚
ケロさんファンの方のブログを読ませていただき,自分のときのこと(前のご贔屓の退団発表からのこと)を思い出した。

(長々と,自分語りですので,興味のない方は,スルーしてください。)

一言でいうと,

番狂わせ。

だった。

いつか来ることはわかっていても,感情的には,受け入れられない。それも,もちろんあった。
そのうえ,こけら落としが月組と決まった時点で,もう一作は確実,と思いこんでいた。晴れがましいこけらこけら落とし公演と,トップのサヨナラが同時なはずがないと,信じていた。

楽付近の博多公演を見たファンには,予感した人もいたらしい。
前半に観劇した私には,わかるはずもなかった。
残暑も厳しく,7月から体調も思わしくなく,生きているので精一杯だったその頃。

そのニュースを知ったのは,ネットに情報が流れて,10時間以上が経過してからだった。

予想外の時期の発表だったということ。
何よりもすばやく行動しなければいけない時期に乗り遅れたということ。

すべてが,私を打ちのめした。

動揺を通り越して,凍り付いた。

めったに使わない携帯で,遠距離の友人にかけた。

「大丈夫?」
と言われて,
「うん,大丈夫だよ」
と答えたとき,全く大丈夫でないことに気が付いた。

幸いというか,何というか,東京で上演されない「ゼンダ城の虜」に通うべく,様々な手配をしなければならず,落ち込んでいる暇はなかった。

それにしても・・自分のご贔屓の卒業公演に限って,何故,東京が最後でないのか?いつも,そうなら,仕方ないと思う。
そして,新劇場と伴に,前売りシステム,友の会のシステムとも一新。
どうしてご贔屓の卒業公演に暗中模索しなければならないのか?

歌劇団に泣かされっぱなし

でも,嘆いている暇はない。

熾烈を極めると思われる,こけら落とし公演のチケット獲得競争。
可能な限り,思いつく限りの手をつくした。
金券ショップめぐり,オークションetc。
けれど・・

高騰するチケット価格。
「ゼンダ城の虜」でのムラ通いで疲弊する財政。

熱烈希望日のチケットは,たやすくは手に入らない。
こけらだからといって,何故,あそこまで跳ね上がったのか。ご贔屓のファンには,お金に糸目をつけずの人が多いのか?

今から振り返ると,あの頃が,バブルというか,ピークだったと思う。
まさに,狂乱の時代。

初日のチケットすら手に入れないうちに,東京での舞台稽古が始まる。
非ムラ在住のファンにとっては,最後のお稽古待ちのチャンス。
ビル風に耐えながら,ご贔屓を待った。
お手紙を手渡しできるわけでなくても,サングラスをかけていても,通った。
フラフラと帰宅して,ネットでオークション。

直前になっても,出品はあった。
より良いお席を手に入れた人が手持ちを放出したり。

ぎりぎりになって,チケットをゲット。観劇はできたけれど,緊張と,疲労で,あまり楽しめなかった。
お稽古待ちで体力をすり減らし,オークションで神経をすり減らし。

そうまでしてチケットを手に入れて観た初日。

どうしてわたしのあの人が,センターにいないの?

普通の公演は,それなりに観たと思う。
でも,100%楽しめたわけではない。
サヨナラショーのチケットが1枚もないことが,心に重くのしかかった。
目の前の公演を楽しいと思う気持ちよりも,サヨナラショーを観ることができなかったらどうしようという心配が大きかった。

公演中も続く金券屋めぐり,オークション。

そして,とにかく,寒くて,思うように入り・出待ちができなかった。
せっかく用意したチケットが,風邪なんかひいて無駄になったら大変と思って。
頑張って,1回公演の出待ちに駆けつけても,日が暮れて真っ暗だったし。

ご贔屓は劇場
私は,金券屋めぐり

こんなに切ないことはない。

さらに,DC,ACTの準備も,しなければならない。
大劇場も。

最後ぐらい,集中させてほしかった。
結論から言うと,サヨナラショーは,2回とも,観ることができた。
手に入れたのがあまりに直前(大楽のチケットを手にしたのが,前楽の日)で,なんとなく,実感がわかないまま,観ていたと思う。

1800字も書いたのに,消えてしまい,書き直しました(涙)

続く

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